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仮面ライダークウガ「EPISODE35話 愛憎」を義務教育にしろ

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はじめに

最近の教育界の大きなニュースと言えば,センター試験の形式変更に伴う種々の問題である。採点が公平性に欠けるだの,思考力だの,偉そうな人達が唾を飛ばしながら熱い議論を交わしているが,笑止。

 

ハァ~~~~コイツ何も分かってない。ストリートに立ってない。

文部省がどれほど立派な理念を掲げても,入試制度という形式を調整しても,アニサキスの涙ほども影響力をもたない。これからの世代を生きる若者たちが今もっとも学ぶべきものは唯一無二のオンリーワンのただ1つ!!そう,仮面ライダークウガEPISODE35愛憎だ。あ,あと,その前エピのEPISODE34戦慄もだった。

 

仮面ライダーとは

これらのエピソードを語る前にまず,初代仮面ライダーの設定についてお話しをしたい。全て語ろうとするとブラジルの人口(2.093億)文字くらいになってしまいそうなので,簡単にまとめよう。もともと仮面ライダーは敵組織が作った人殺しマシーンなのである。人外となり人間を殺す運命であったが,脳手術で洗脳を受ける前に逃げ出せたので,心は人間のままで済んだ。その人間の心で,人類の平和のために戦うことを決意するが,体はもはや人とは呼べない殺人機械であるので,自分はもう人間ではないという事実に苦悩する。自分を人間でなくした敵を恨む顔,人間に戻れないという悲しい顔,そういった様々な感情を隠すために仮面をかぶったのだ。つまり,推し量られないような悲しみや苦しさを仮面で隠し,ひたむきに我々のために戦っているのだ。この設定だけでご飯2.093億杯はいけるね。

 

仮面ライダークウガ

さて,話を主題に戻そう。上記の設定を含めて,仮面ライダークウガの素晴らしさを語りたい。実は,上記の説明で私が意図的に排除した言葉があったのだが,お気づきだろうか。

 

そう,答えは「正義」である。

 

仮面ライダーといえば,「正義」のヒーローと思い浮かべた方も多いのではないだろうか?確かにそれも一理あるのだが,いわゆる「正義」の味方が,「悪」を倒すという典型的な二項対立形式では,物事の表層しかとらえられない。簡単に言うと,一方の「正義」はもう一方の「悪」であり,またその逆もしかりなのである。従来の子ども向け番組では取り上げられなかったこの着眼点に触れたのが,仮面ライダークウガという作品なのだ。

仮面ライダークウガの主人公である五代(オダギリジョー)は,人の笑顔が何よりも好きと言う超絶心が優しい青年なのだ。暴力をはじめとする争いを好まず,平和を愛する牧歌的な性格である。しかし,ひょんなことから仮面ライダークウガとなり,敵種族であるグロンギと戦うことになってしまう。暴力を好まない青年がライダーキックという暴力で敵を鎮圧し,理想と現実の乖離に苦悩する。この構図こそが,これまでの一元的な「正義」-「悪」様式に一石を投じる革新的な設定なのである。つまり,これまでのシリーズで「正義」として計上されていた暴力に対してスポットライトを当てたのである。

 

五代は,暴力を嫌いながらも暴力で人類を守る。その自己矛盾はきっと苦しかっただろう。しかし,みんなの笑顔が好きという心優しい五代は,その葛藤は仮面の下に隠し,周りの人にはいらぬ心配をかけないように笑顔で振る舞っていた。これを象徴するシーンは,戦闘後に仮面を取って,みんなに向けて「大丈夫」といって笑顔を向けることである。

 

次の章に行く前に抑えておいてもらいたいポイントは

1・クウガは暴力を憎んでいる

2・周りの人を安心させるために戦闘後は笑顔を見せる

 

上記2点を踏まえて,本エピソードの神要素を見ていこう。

 

EPISODE 34・35はどこが逸脱なのか

これらのエピソードは2つの物語が同時進行で進む。1つは,五代の妹が働く幼稚園での園児同士の喧嘩である。そして2つ目は,敵種族であるグロンギによる,高校生連続殺人事件だ。補足しておくと,敵種族であるグロンギには彼ら独自の文化があり,その文化の中では,ゲゲルという人殺しゲームによって種族内のヒエラルキーが決められる。ゲゲルには厳密性があり,ある一定のルールに従わないとゲゲルとして認められない。例えば,トラックのバック駐車で殺さなければならないとか,バイクでひき殺さなければならないと言った具合である。今回のゲゲルは,「ある高校の男子高校生を12日で90人殺す」というものだった。その殺人方法は予告殺人で,「4日後に死ぬ」と男子高校生を脅した後,4日間怯え苦しませた末に殺すと言う卑劣を極めるものであった。

 

五代は,妹の幼稚園で,園児同士が暴力を伴う喧嘩をしたことを知る。そして,「嫌なことがあったとしても,それをしっかり伝えることが大事なんじゃないかな」と諭す。喧嘩について相談してきた妹にも「大丈夫。分かり合えるよ。だって人間同士だから」と言う。衝突しても暴力に頼らず話し合おうとする五代らしさが垣間見える。

 

同じころ,男子高校生の死亡事件が依然として発生しており,その解決のためにも翻弄していた。その際,殺人予告をされた男子高校生が怖さに耐えられなくなり自殺してしまうという痛ましい事件が発生する(日曜の朝に放送するな)。これには,いつも優しい五代もやりきれなさと憤怒に暮れる。罪のない子どもを卑劣な殺し方で殺す奴らとは決して分かり合えそうもない。

 

一方,グロンギにとっても自殺はゲゲルの殺人方法ではないので,新たな1人をゲゲルに従い予告殺人する必要があった。そこで,別の生徒をターゲットにしたが,この生徒だけは絶対殺させないと五代は彼をかくまう。

 

このかくまうシーンで印象的なセリフがある。

生徒「なんで,なんで殺されなければならないの!?」

五代「理由なんてないよ」

生徒「え?!」

五代「だから,殺させない」

 

決意の約束を口にした後,男子高校生殺人の報道を見て拳を固く握りしめる。それは,単なる守るための決意ではない。浮かび上がった血管と握り締める音からは憎しみと怒りが窺える。人間同士は話し合いで分かり合える。では,グロンギに対しては?握り締めた拳が答えなのか。

 

そして,予告通りグロンギがやってきて戦闘シーンが発生する。通常仮面ライダーの戦闘シーンと言えば,ショートケーキで言うイチゴにあたる花形である。したがって,そのシーンを盛り上げるために,通常はかっこいいBGM(例えば↓)にのせて華々しく戦うのである。

仮面ライダークウガ BGM 激闘

 

一方,今回の戦闘では,ほぼNO・BGM。消え入りそうなおどろおどろしい音に合わせて,クウガが馬乗りになってグロンギを殴りつける。その様はまるでリンチのようである。敵は赤い血を流しながら殴られるまま。とてもこれまでの「正義」の味方的な戦い方ではない。

 

そして,ここが一番大事。18:46のシーン。

五代のリンチシーンの途中で,五代が殴る拳がフレームに入る。その手は,グロンギを殴り,血を流させる手。そして,もう一発をふりかざそうとした次の瞬間,幼稚園児が手を握るフレームに変わる。その手は仲直りをするための手。どちらも同じ手だが,一方は殴るために,もう一方は分かり合うために使われた。この対象を際立たせるのフレームワークは圧巻である。

 

そして,五代はとどめを刺すためにタイタンフォームにフォームチェンジをした。タイタンフォームにはカラミティタイタンという必殺技がある。これは強靭な鎧で相手の攻撃を気にせず近づき,近づいたところを剣で一突きというものだ。これまでの戦闘では,一発突きが基本だったが,この話だけは,唯一何度も何度も切り裂き,倒れたところも構わず突き刺すような,これまでのスマートな倒し方とは異なるものであった。そして,敵が死滅し爆発したところで,仲直りした幼稚園児達が2人で積み木を完成させた場面が映し出される。一方では,分かり合い素敵な物を作り上げ,もう一方では,分かり合えず破壊をした。

 

そして,燃え盛る炎の前で,五代はこのシリーズで唯一笑顔を見せないどころか,振り返りすらせずに終わった。その表情が語っていたものとは何か。分かり合えないものに対しては,暴力という形を取るしかないのか。

 

まとめ

ネットワークの発達により,これまででは考えられないほどの人と出会えるような現代になった。それに伴い,自分とは異なる考え方をする人とも会う機会が増えた。そして,違う者同士が出会った時ぶつかり合うという光景が往々にして見られる。これは世界情勢とか大きなスケールだけの話ではなく,日常生活についても言える。極端な言い方をすれば自分以外の全員は違う人なのだ。その中で,あいつはダメ,あいつは終わってると一方的に決めつけるのは一種の精神的暴力,スタンド攻撃ではないだろうか。

 

その手は人を殴るためにあるんじゃない

 

その手は人を傷つける文章を書くためにあるんじゃない。

 

その手は人と人をつなぐ,優しい手なのだ。

 

 

私は仮面ライダークウガから学んだこの高尚な理念に従い,最後にこの手でみなさんに幸せを届けられるような言葉を紡いで今回の長い駄文を綴じたいと思う。それでは聞いてください,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おっぱい。

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