有線マウスの面影

エッセイ
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バーチャル炊飯器
本体価格の値上げに厳しい。買うけど。
現在会社で貸与されているマウスは無線なのだが、一年程前は有線のタイプだった。
無線になった時は感激した。
線がないだけでこんなにも人は自由になれるのか。
もう紙コップにわずかにコーヒーが残ってるのに気が付かず、ケーブルに引っ掛けて倒して書類がおじゃんになることもないのだ。
筆立て(筆は入ってないが)に引っかけて倒してしまいファイルがドミノ倒しみたいに崩れることもない。
お菓子の食べかけの小袋が引っかかって床に落ちることもない。
 
私の自宅は人にお見せできない散らかり具合なのだが、人にお見せできないはずの散らかり具合の片鱗を会社のデスクで同僚の皆様にお見せしてしまっている。
昔は部屋こそ散らかってるものの、学校や会社など、外ではむしろきっちりと整理整頓していた。(これは部屋が散らかってる人あるあるかもしれない)
今まで外では体裁を繕うことができていたのだが、近年タガが外れてしまい自由闊達に散らかしている。
マウスが有線の頃はそれでもケーブルと何かの接触事故を防ぐために多少気をつけていたのだが、マウスが無線になってからというもの「ケーブルが物に引っかかる心配」という概念自体が消えたので散らかり方は加速し、たまに上司に「ちょっと片付けてみようか」と優しく声をかけられるようになった。
 
 
 
さて、これを書いている今日、会社でノートPC·紙コップ·マウスという配列で作業していたのだが、作業中に急かつ瞬間的に「やべっ!!」と思った。
 
 
マウスのケーブルが紙コップに触れた感触があった。
無線マウスなのでケーブルはないし、何もやばくはない。
怖い。なんだったんだ今の感触は。気味が悪い。在りし日のケーブルの気配を感じた。
そんな事があるまで「マウスのケーブルには気をつけねば」という意識は完全に消えたものだと思っていた。
まさかケーブル無き今そんな事を思うなんて。
 
私はすっかりマウスのケーブルの邪魔さなんか忘れていたつもりだったが、忘れていなかったのだ。
あの、わざわざ社長印を貰う手続きを経て完成した書類の端っこにコーヒーをこぼしてしまった日のことを忘れてなどいなかった。
忘れてたけど忘れてなかった。夢だけど夢じゃなかった。
人生ってきっとこういう事の連続なんだろうな。人は物をどんどん忘れていくが、忘れたつもりでも心のどこかに残っていて、ふと顔を出すのだ。
 
無いはずのマウスのケーブルの感触によって人生について考えさせられた私は、散らかってる机を見て「机が散らかったままの人生でいいのだろうか」とようやく危機を感じた。
なんとなく意地になって片付けを放棄している自分には気づいていた。散らかってる方が自分らしいのでは?とすら思っていた。
しかしきっと机の上を片付けた後も、在りし日の散らかった机は私の心のどこかに残るだろう。
 
私は「ちょっと片付けてみようか」と声をかけてくれた上司のところに行き、「これからはちゃんと片づけようと思います」と宣言した。
 
 
 
 
 
 
 
<終わり>
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