アメリカのシャワー事情~時空を超えた想い~

エッセイ

私は、この世に嫌いなものが3つある。家賃と交通費と下ネタである。家賃と交通費が嫌いな理由は、お金を払っても何かもらえる訳ではなく、ただスタートラインに立つ権利が与えられる点にある。例えば、チョコレートを100円で買うというのは、100円が自分の財布から失われてしまうが、その代わりチョコレートが得られる。これは納得できる。しかし、家賃や交通費に関して言うと、高い値段を払った後に手にするのは虚(きょ)である。私はそういった虚に関する支払いをする度に激しい憤りを感じ、おしりプリプリなのである。この話をする度に、「便利さを買ってるんだおwww」と言ってくる人もうんちブリブリなのである。以上の点で、私は家賃と交通費と下ネタが嫌いなのだが、実際社会生活を営む上では避けて通れないのが現実である。下ネタも社会のために仕方なく使っている。

 

以前、大学の近くで一人暮らしをしていたのだが、家賃、電気代、水道代、ガス代…と単純に食べてうんちをするだけでお金がかかるのが耐え難かった。その中でも、ガス代においては一番の敵意を感じていた。調理はIHだったので、ガスはシャワーのお湯にしか使われていなかったはずである。それにも関わらず、毎日明かりをともしたり、充電させてくれたりと大活躍の電気代さんとほとんど値段が変わらなかったのだ。シャワーもしずかちゃんばりに長時間浴びていたわけでもないし、銭湯に時々行っていたため、毎日使っているというわけでもなかった。それでも高額請求をしてくる背景には、「どや?払わざるをえまい?」という傲慢さが見え隠れしいて非常に腹が立った。そこまで言うならお湯を使わずに生活してやるわ!と奮起し、水シャワー生活を始めたのがきっかけである。寒さも厳しい2月から。

 

実際にやってみれば分かるが、冬場の水シャワーは文字通り息が止まる。心肺機能が停止し、三途の川が脳裏に浮かび上がる直前に、鳥肌で大根すりおろし器のようになった肌を思いっきりSLAP!して意識を取り戻す。そのような厳しいトレーニングを繰り返すうちに、自分の実力がメキメキと上達していくのを感じた。途中、引くくらい体調を崩したのでお湯を使う羽目になったり、友達がシャワーを使ったりで完全なる0になることはなかった。しかし、次第に私の家でシャワーを使うと何だか気まずいという噂が友達界隈で広がり、着実に友達が減ったところでついに目標のアブソリュートゼロを完遂したのだ。

 

(使用料0)

 

私がこのチャレンジをしている間、友達共(当時はクソやじ馬とよんでいた)は、やれ「体調壊すよ?大丈夫?」だの「そんなにお金ないならガス代出してあげようか?」だの冷血で心無い発言をしてきた。体調は9回くらいしか崩さなかったから余計なお世話だっつーの!!とは言うものの、シャワー後の赤く腫れあがった激しいビンタ跡を見る度に、何のためにやっているのか疑問に思ったのも事実だ。途中何度も辞めたくなったりもしたし、自分はひょっとしたら無意味なことに無駄にエネルギーを使っているのではないかと思ったりもした。そんな時はのび太君の名言「いちばんいけないのはじぶんなんかだめだと思いこむことだよ。」が励ましてくれた。私は大丈夫。このように自分を信じ挑戦を続けていたところ、実際に水シャワーが報われる瞬間が現れたのである。

 

私が現在アメリカで暮らしている寮には以下のようなタイプのシャワーがある。

 

これは時計回りにレバーを回転させてお湯を出すというタイプなのだが、重大な欠点を抱えている。それは、必ず冷水を経由するということである。初期位置から一回転させるとお湯が出るのだが、半回転ほどさせたところに冷水が出るポイントがあるので、どんな手を使ったとしても一瞬冷水が出てしまうのである。ガス代を盲目的に支払い、冷水シャワーをしたことない可哀想な人たちは、冷水を避けるためにあらゆる手段を講じるだろう。

 

冷水が体にかかるのを防ぐために、シャワーのヘッドの向きを変えて体からそらすかい?無駄無駄、シャワーは壁に固定されているよ。

 

 

それじゃあシャワーが当たらないように体を移動させて逃げるかい?

 

無駄無駄、シャワー室が狭すぎてストリートファイターの豪鬼みたいな動きになっちゃうよ。

 

それに、水シャワーからできるだけ遠ざかるために、裸で壁に向かってく姿を想像してごらん。ダサすぎないかい?そんな醜態を晒した大人が将来部下に厳しいことを言ったり、自分の子どもに善悪を説いたりすることができるかい?どれほど澄まし顔で尤もらしいことを言ったとしても「でもパパはフルチンで水シャワーから逃げてたじゃん」と言われれば何も言い返さないよ。

 

では、人間としての尊厳を保ちながら、水シャワー問題を解決するにはどうすれば良いだろうか。それは、「耐え」である。水シャワーで髪の毛から、足の爪の先までまで洗っていた当時と比べれば、一瞬水が出ることなどCHA-LA HEAD CHA-LAなのである。私はルームメイトのエリックやクリスが毎日フルチンで冷水から逃げ回っているのを想像しながら、毅然とした態度で冷水の一瞬を耐えるのである。継続は力なり。周りに何を言われたとしても、自分が信じた道をまっすぐに進んでいれば道は必ず開けるのである。当然、目標に向かう途中は不安や挫折があるだろう。それでも、自分を信じて突き進むことが大切なのである。私はシャワーで冷水を浴びる度に努力の喜びをかみしめるのである。フルチンで。

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