最強の地下アイドル・佐倉雅ちゃんとは何者か?神?尊師?調べてみました!

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あめのちあさひ
あさひのひは「悲惨」のひ。エウレカセブンと椎名林檎のオタク。ソビエト製のカメラで写真を撮っています。どうか愛してください。

今回は僕が推しているアイドル、佐倉雅ちゃんの2ndアルバム「享年十七歳」のレビュー記事をお届けします。よろしくお願いします。

ところで読者のみんなには「地下アイドル」という言葉が通じるのか? というところが気になったので、一般的には馴染みの薄いひとが多いと思われる地下アイドルの世界を少しばかりご紹介しつつ、雅ちゃんのアルバムを紹介しようと思うのだ。

地下アイドルとは、すごくおおざっばに説明すると、小規模なライブハウスで歌ったりパフォーマンスをしたりすることを中心に活動するアイドルのことです。テレビに出ているアイドルとの違いは、わかりやすくポケモンGOのGBL(GO Battle League = 対人通信対戦)に喩えて説明すると、マスターリーグとスーパーリーグの違いのようなものです。知名度やファンの人数や会場の規模感が違う、というのは基本的にあれども、そういった数値だけで評価できるような単純なものでなく、それぞれのレギュレーションのなかで熾烈な闘いが行われているということですね。活動場所がライブハウスになるので小規模なイベントにはなるが、おもいもよらぬ多種多様なパーティ編成でアイドルが入り乱れて、絢爛多彩なパフォーマンスを見せてくれる。思いもよらぬところで“推し”が見つかって、応援することでどんどん人生が潤っていくのがスーパーリーグの魅力ですね。なかにはレジスチルのように地上に近いところから地下のほうまで活躍の幅が広いアイドルもいますが、まれです。

佐倉雅ちゃんは東京のライブハウスを中心にライブ活動をしていますが、神なので、やろうと思えばきっと武道館でもウッドストック・フェスティバルでも活躍できる力量を持っています。佐倉雅ちゃんの公式プロフィールはこちらです。

 


佐倉雅が来た。何を考えてるかは相変わらず良く分からない。5時間も呼び出された、佐倉雅は暇だったんだろうか?。楽しかったよ、って言ってあげてもよかったかな|出演依頼・ご予約→miyabi.lfz@gmail.com|告知用→@miyabi_420
(プロフィールはTwitterアカウントより引用)

萌(もえ)ッッッッッッッッ!!!!!!!!!

めちゃくちゃ可愛いうえに歌が最の高に上手くてライブパフォーマンスが楽しすぎるソロアイドルといえば佐倉雅の一択。「お薬お姉さん」(薬局に勤めているという意味ではない)なのでお薬をたくさん呑んでいるし、お薬に詳しいです。アイドルとしてのバトルスタイルはテクニカルな技構成のガン攻めっていうところで、ポケモンGOでいえばシャドウクチートに喩えられるかと思う。可愛いだけのアイドルよりも個性のある曲が聴きたいんだよな~と楽曲にこだわるひとにこそいっそう聴いてみてもらいたい。一曲一曲に魂が込められているのがわかるはず。百年先も神州無敵と謳われるのは佐倉雅の名であろう。

 


2ndアルバム「享年十七歳」
1.踏切~album remix~
2.自殺の練習
3.ひとりぼっち
4.ひきこもりのうた
5.この病は一生治りません
6.仄暗い地下の底から
7.アイドル失格
公式通販サイトから購入できます)

収録されている全七曲について音楽雑誌の文体で楽曲レビューを書いていきたいと思ったが、ふだん音楽雑誌を読まないので感想メモになってしまった。少しでもアルバムの雰囲気が伝わるといいな。
一枚目のアルバム「QUEEN OF DRUG」には魂を削って磨き上げたヒリヒリした楽曲が詰まっていた。二枚目のこちらはアイドルであることの夢と挫折と孤独感を押し出していて、全体として物語感を演出する構成になっている。

 

1.踏切~album remix~
いきなりなに言ってんだと思われるかもしれませんが、これは雅ちゃんの精神がムリになって踏切に飛び込みそうになったときのエピソードが元になって楽曲化されたものです。人間誰しもムリになることはあるが、ムリになった気持ちをここまでカッコイイ曲に転嫁させることができるとは……と、ツイッターで当時のできごとをハラハラしながら見守ったオタクたちは胸を打っていることだろう。世の中と折り合えない辛さを歌いながらも学園祭でコピーしたくなる青春王道ロックって感じのサウンド。これはいっけん矛盾するようでありながら、歌詞のなかから踏切が「そこに飛び込めば楽になれる場所」の象徴であると同時に、踏切の先は乗り越えてその先に行きたい憧れの未来であるという二重性が読み取れることで、絶妙に成立している。

2.自殺の練習
不穏なタイトルの2曲目は、他者から向けられる理不尽な負の感情を受け止め押し殺し、我慢の果ての怒りを曲に凝縮したような緊張感がある。印象としては「Queen of Drug」の曲調を受け継いでいるかも、というわけでこの曲が気に入ったならば、一枚目のアルバムも間違いなく気に入るであろう。
普通のひとの普通の日常、普通のひとが「これは遊びのうちだよ」と言って笑うようなくだらないおふざけによって虐げられることがアルバムタイトルである享年十七歳という最期に繋がりうるのだ、という声なき声を届かせるサイコショックな歌詞がこころに響く。

続く三曲はどうしようもない孤独を謳っていて、いずれも曲調・歌詞も三者三様の魅力がある。ひとと繋がれない苦しみ、諦めを伴った自嘲、孤独のかたちが多面的に描かれる。

3.ひとりぼっち
人間関係を築けない苦しみを振り切って泣きながら誰にも顧みられない夜道を駆け抜けるかのような疾走感を伴った曲で、誰からも救われない、誰も救えない、外部と途絶した孤立感が際立っている。
ふと、ひとのつながりってなんだろうって考えて、いま自分の消せるだけの全情報を抹消したときどれだけの人間が自分のことを気にかけてくれるだろうか、誰も気にもとめないんじゃないか、孤独だなあ、って世界から孤立した感覚を抱くことってありませんか。そういった心細さが曲のなかから感じられる。

4.ひきこもりのうた
歌謡曲テイストでコミカルな曲調と歌詞で、ジャケットのイラストといちばんマッチしている。楽しい曲なのに泣けてくる。なんかしらんが今日も終わっちゃったな~やることねーんだよという自嘲をもって大学時代なにもせず棒に振った僕にはぶっ刺さりな歌詞だった。曲中で滑稽な演出を織り交ぜていることが自嘲感を高めていて効果的に効いている。雅ちゃんは歌の魅力だけでなく小技の入れ方がたいへん面白くって、ライブでも観客を楽しく煽ったり笑わせたりしてくれていつも上手いな~ッ!って思っている。

5.この病は一生治りません
三拍子のバラード、歌詞はアルバムのなかでいちばんリアリスティックでありかつファンタジックな複雑さを持つといえる。精神的な病が絶えず自分も周りも傷つける。精神的なつらさというのは突発的に出来事に起因することもあれば、長きに渡って心身を苦しめることもある。この先もこの辛さが癒されることはないのだと、諦めを伴ったような雰囲気をまとった声色でサイコブレイクな病と向き合い続ける苦しみを歌い上げている。

私事ですが僕はコロナ関係なく年々ひとに会うことが少なくなってきていて、実家にも帰らず親子兄弟の縁も希薄で友達もおらず恋人もできず、ひとりポケモンGOばっかやっていますが、対戦が勝てなさすぎて発狂しそうだし(マジでポケモンGOの対戦は連敗が続くと自分の生きている意味を否定されたかのように感じて死にたくなる闇のゲームなんで)、このまま一生かかってもランク10になれずに孤独に死んでいくんかなあって自分のゆくすえを想像しながらこの三曲を聴いていました。笑いごとじゃないんだよ。

締めの二曲は、思い描いた夢と現実のギャップを思い知りながらも負けねーぞという地下アイドルとしての矜持に満ちていて、「いやいや毎日憂鬱だけど死んでる場合じゃないな」って気持ちになって元気がわいてくる。

6.仄暗い地下の底から
くそかっこいい。ひたすらにかっこいい。適切な例えなのかわからないが、イケイケな深夜アニメの主題歌になりうるかっこよさ。ともすれば低く見られがちな地下アイドルにだって伝えたいことがあるんだ、という”矜(ほこ)り”がほとばしっている。神曲(かみきょく)だ。

7.アイドル失格
アルバムのなかでいちばんアイドルソングっぽい曲調で、ところどころ笑える合いの手が入れられて、聴いていてとても楽しい。アルバム通して聴くことで最初の曲「踏切」のなかで歌われている「アイドルへの憧れ」が、「アイドル失格」では「憧れの存在には至れなかった。でも……」という結末へと至る物語が思い描ける。曲の最後の締めの言葉が過去への振り返りになっているところが笑える(泣ける)とともに、アルバム全体の締め括りになっているので、いっけんどの曲もネガティブな言葉に満ちているようでいて、最終的にはそんな過去も肯定していいよね!という前向きな気持ちになれるのではないかと思う。

「仄暗い地下の底から」と「アイドル失格」は、必死で生きてるはずなのにうまくいかずに悩んでいる多くのひとが聴くと、まだまだ負けねえぞという感情を呼び起こされたり、いままでの上手くいっていない自分でも生きていてよかったんじゃないかって自己肯定できるようになる。まいにち必死で頑張ったり工夫したりしてるはずなのに誰からも認められない苦しみって、誰でも感じたことはあるでしょう……
てかさ~~~僕も「ブログでめっちゃおもしろいこと書いたろ!」とか意気込んでもさ、誰にも読まれねえしな。インターネットのおかげでだれでも手軽に創作物を発信できるようになったいまの時代は最高! という風潮があるけれど、WEBで書かれた文章なんてどうせ読まれてるのは一部の人気ある奴のものだけだし、雑魚が発信することにいったいなんの意味があんねんな? と思っちゃって書きかけてるもの全消しすることがあるし、あらゆるものを読むのがしんどくなることにある。千紫万紅の一億総活躍社会なんて謳い文句はウソ偽りだろ、って思うこと、ありますとも。あるよな?

思わず自分語りしちゃったが、「どうせムダだろうな」って卑屈になってやっていたことでも、あとから振り返ったときに「まぁやっておいてよかったかな」って気持ちを転換させられるのがこのアルバムのちからだと思うのだ。アルバムの最後の曲の最後の言葉が「全部、楽しかったよね!」で締められているいるのは、ダメダメなまいにちだと思っていたけど、そう言われてみるとたしかに楽しかったかもなと思えてくる。あらゆる過去をすべてひっくるめて前向きな現実という虚構を完成させている。

老人のようなことを書いてしまうが、最近はネットで音楽を聴くとき気に入った楽曲をつまみ食いするだけになっちゃっているけれど、久しぶりにCDを初めから終わりまで通して聴いて曲と曲のつながりを想像する楽しさを味わえた。

僕はたまたま地下アイドルの世界に興味を持って迷い込んで、たまたま”神”に出くわしただけなので、世の中のアイドル事情への知識は乏しいものだ。曲のさなかの叫ばれるコールとかも、「タイガー、ファイヤー、……サンダー、フリーザー? わッかんねーな……」って覚えられないくらいアイドルのオタクに向いていない人間でして、この記事でアイドルについて適切な説明ができているのかわからない。

しかし、ステージを挟んでアイドルとオタクという境界線が虚構的な関係を生んで、お互いが虚構的な振る舞いをするという前提でつながる人間関係は、いっけん弱いつながりであるようでいて、虚構的な”お約束”に保障されている安心を感じられる関係であるといえるかもしれない。

すべての人間関係は”お約束”で、あらゆる約束ごとは果たすべき責任が伴うという点で少なからぬ負担がある。けれど、虚構的な関係だという前提がある人間関係というのは、良い意味でお手軽なお約束がしあえるということで、それはこころの負担にならずむしろ精神を浄化して魂のグレードを引き上げるのだと思う。それがアイドルを推すことの楽しさと安らぎの正体なのではないかと分析した。
ま、”ガチ恋”になっちゃった場合はしんどくなるかもしれないが、僕はふだんからろくに恋をしないので”ガチ恋”の気持ちはわからない(恋がしたくないわけではないので、合コンなどにはいつでも呼んでください。呼べ!)。

雅ちゃんのことが少しでも気になったひとは、ぜひ雅ちゃんの曲を聴いてみてほしい。あるいは地下アイドルの世界をのぞいてみてほしい。

もしくは僕とポケモンGOでフレンドになりませんか? TwitterでDMもらえたら対戦もします。クソ弱いんで簡単に勝てますよ!(負けねーぞ)

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あさひのひは「悲惨」のひ。エウレカセブンと椎名林檎のオタク。ソビエト製のカメラで写真を撮っています。どうか愛してください。
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